疾風の乱痴気、腹黒の生意気、人間の生活、先輩映写技師お姉さん

腹黒の生意気を観た。

感想を書く。ネタバレしまくりますのでまだ観てない人は今すぐiPhoneを井戸の底に投げましょう。

 

『Haraguro no Namaiki』
『ブルーフォーブラッフォーガングリフォン』と系統的には似ている、感覚のみで最初から最後まで一本線通すタイプのネタでとても好き。変なネタ。
会話が締まらない、というか締めない。

H「でも腹黒ってそういうのじゃないから」
S「そうなんすか?」
H「そうなんすか?じゃねえよ」
S「はっはっはっはっ 腹黒い、で、タヌキ、思い出しちゃいました」
H「なーに言ってんだよ」

主に設楽さんが会話を収束させない、ズラしてズラしてどんどんスライドさせていく。演技力。
設楽さんの怖い部分は、よく言われるドS的な、首刈りビンタやカラーバットフルスイングみたいな部分じゃなく、こっちの混沌としたトリップ感満載の感覚的な部分だと僕は思っています。

 

『cuckoo costume party』
このライブの中で一番好きなネタでした。
バナナマンらしい、二人の会話メインで背景にある物語を進めていくやつ。
二人が席立ってメシ食わずに話しまくってるの見ると、「こいつらメシ食えよ!大人二人で何やってんだよ!」のおもしろも乗っかってくる。『Happy Birthday』とか『old man』みたいに役と本人のバランスがとても絶妙で、途中日村さんが普通に「ちょっと待ってよ設楽さん」て普段の呼び方しちゃってて、結構素に近いテンションでやってるのかな〜なんて思ったり。映像の分野でも会話を極めていくとだんだん効果的な即興演出が用いられるのと同じかもしれないな、と思ったり、あとやっぱりあのオチは爆笑。緻密さと乱雑さの共存、バランス。

 

karaoke
顔芸でもありカメラアングル芸でもあり繊細な間合いの芸でもあり、超笑った。イントロ流れてきて設楽さんがマイク取って歌い出すまでのあの感じとか、演技力の極みというか、こんなのこの二人にしかできんな〜と素人ながらに思った。あと日村さんの完全に無の顔がもう完全に無で、無すぎて笑う。サビ前に「ドゥクドゥンドゥンドゥン」とか言うなよあいつ!そういうのやめろ!歌ってる時点で変なのにドゥクドゥンドゥンドゥンってなんだよ!

 

『panic Attack』
設楽さんの悪口の鋭利さが凄すぎる、引く半歩手前ぐらい鋭い、それを受け止める日村さんの「そうそうそう!それでいいのよ!」の流し方、対立構造、精神的にどっちが優位に立てるかのマウントの取り合い。設楽さんの髪型がおもしろすぎる、似合ってなさが絶妙、でもいるな〜こういう髪型の人、と思って、その髪型のチョイスからして、着眼点がやっぱり凄いな〜と思った。

 

『赤えんぴつ』
二曲やったのって何年振りだろう。わ〜〜〜二曲やるんだ〜わ〜〜〜と思った。「お前クスリやってんだろ!!!!」「お前だよ」はもう無形文化財ですね。曲もやっぱり良い。ギターで耳コピして家で一人で弾きます。

 

『The pitiful two in the philippines』
バナナマンの単独といえば、物語性が一番強いラストのコント。総括的な感想になるけど、最初のネタから最後のネタまでが、綺麗なグラデーションになってる。毎回そうだけど、今回はそのグラデーションがより綺麗というか、振り幅が凄い。今回も色んなパターンの「おもしろい」がある。観てる方が色んな感情を使うので飽きない、そして「わ〜〜〜、良かったな〜」と、とにかく幸せな気持ちになります。良かった。腹黒の生意気。バナナマンは凄い。この忙しさの中こんな凄いものを創っているわけだから、設楽さんと日村さんとオークラさんに丸々一年ぐらい単独のための休みを与えたら一体どうなるんだろう。
以上。

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話変わって。個人的な話。
先輩映写技師お姉さんが映写をやめることになった。
理由は詳しく書けないけど、ハッピーな退社ではなく、むしろ反対で、本人は「敗走だね、仕方ない仕方ない」と言っていて、仕方ないという言葉に俺達は何敗してきたんだろうと思った。「仕方ない」のパワーによって無理矢理捨てられた感情達を、無理矢理捨てられた事にも気付けないぐらい大人になってしまっていた。
ホン・サンスという韓国の映画監督がいて、先輩映写技師お姉さんも僕もその監督の映画がとても好きだった。ホン・サンスの映画はこうでこうで、ここがこうなってて、みたいな話をすると、「流石脚本家だね〜、観方が正解だよねそれ〜」とか言ってくれたり、まあとにかくホン・サンスの話をしまくった。TIFFホン・サンスの新作を観て、「最高最高最高最高最高最高最高最高最高😭😭😭😭」と二人で言いまくった。
映写技師という存在は技術が進歩するごとにいらないものとなっていくのは確かです。最後の生き残り僕らは映画の神様から愛されていた。相思相愛。
ホン・サンスの映画みたいに、先輩映写技師お姉さんがやめなかった未来が自分の横を歩いてる気がします。というか歩いてます。
やめざるを得ないという報告を受けた時、「映写室には私の先輩達の代から個性が強い人がたくさんいて、◯◯くん(俺の名前)もそうだけど、自分できちんと頭働かせて作った独自の考えみたいなのを持ってる人がいて、そういうのがぶつかる(混ざり合う)のが人間の生活だと思うから、二十代の時にそういうの我慢してきたからさ、もうしたくないかな……」て言われて、こりゃ泣くばいと思った。泣いたら変なんなると思って超耐えたけど、人生の先輩から言われる『人間の生活』という言葉がとても重くて、持てない、と思った。重くて持てなくてずっとそこに置いてあるから忘れない。動かない。

 

「次どこで働くとか決めてんすか?」
「まぁ…私文章書ければそれでいいし、コールセンターでもなんでも…」

 

死ぬまで映写室にいてほしいです。
馬鹿力のヘビーリスナーで、読まれた時にはすぐさま「今読まれてたね!」と光の速さでLINEを送ってきてくれたりした。最後に会う日、俺が持ってる馬鹿力カード全部あげよ。